土曜の夜、ビルエバンスのピアノを聴きながら今日の歩きを思い返す。曇天の里山歩きだった。冬枯れの林、風になびく草むら、暗い林に白く浮かぶミツマタの花、曇天に霞む相模湾、落葉に覆われた道、林にこだまするチェンソーの音、崩落道にかかるロープ、今日も山でいろいろな出会いがあった。地図を見ないで歩く山旅は出会いの面白さがある。
右がタケ山、左奥に高松山に連なる山脈 |
松田町田代に車をデポし、「夕刻までには車に戻ろう」と決めて歩き始める。今日は山脈を歩き高松山を回ってここに戻ろう。山脈のどこからここに戻るかは時間次第だ。道はほぼほぼ判るし。とりあえず目の前のタケ山から登ることにする。
タケ山展望地から北側の山脈 |
この道を歩くのは3年ぶりだろうか。踏査で登ったときのことを思い出しながら登る。タケ山の山頂ではエビネもまだ無事だった。タケ山でははじめてハイカーと会う。だんだんに知名度を上げてきた証が嬉しい。タケ山から林道に下りてまたダルマ沢の頭に登り返す。高松山に連なる尾根道だ。ここからは高松山へ適度なアップダウンの連続。コロナのせいか、すれ違うハイカーもせいぜい二人連れ。言葉も目線で交わすだけ。まるで禅寺の修行みたいだ。それともこんなコロナの時に山に来て、共犯関係の気恥ずかしさか。右に伊勢沢の頭、左に第六天への尾根を見ながら現在地を想像する。山での現在地の目視確認だ。八丁部落への分岐、ヒネゴ沢乗越を過ぎるともう高松山はすぐそこだ。
前方から犬連れの二人が登ってきた |
大げさな警告 |
ミツマタ群生 |
高松山山頂 |
高松山から、中央左が金時山 |
時間の余裕があるので思い切り遠回りして最明寺から田代へ下ることとする。最明寺に来てみると「令和元年の台風で~崩落のため通行止め」の警告看板がある。「令和元年だと?まあどうにかなるだろう」とそのまま進む。ところがもう何年もハイカーが入っていないので道はすぐに不明瞭となる。あるのは鹿の足跡だけ。踏査で何回か歩いているので不明瞭でもだいたいは判る。何回か誤ったがすぐに誤りに気付く。たしかに尾根からズレるポイントがあるので初めて歩くハイカーにはかなり危険だ。無事に迷いポイントをクリアするとルートは斜面をトラバースぎみに下る。警告板にあった崩落ヶ所に何回か出会うもへっぴり腰でクリアした。最後の崩落ヶ所も誰かが設置した補助ロープでクリアしたり、けっこう冒険した。ルート最終部(向こうから見ると進入部)には通行止めのバリケードが建てられていた。これではハイカーたちが入らないのも無理ない。時計を見ると時刻は16時30分であった。沢の水で泥だらけの手を洗う。暗くなる前に里に下りることができたことに安堵。最初は気分よくスタートしたが、最後はヒヤヒヤの一日だった。思い出の山旅となることだろう。
まあなんとかなるだろう |
最も怖かった崩落ヶ所を振り返る、ズルズルと滑る、下は谷底 |
夕暮れの田代へ下りてきた |
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