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明け方の栗駒山 |
今年も宮城に
今年のゴールデンウィークは義母の介護と留守宅の片づけをかねて宮城県栗原市へ。思えば宮城県通いもこれで35年続く。35年間、家族の変遷、地域の変遷が走馬灯のように思い浮かぶ。昨年は義父が94歳で亡くなった。この地に生まれこの地で農業一筋に生涯を送った男の大往生だった。いま施設に入所している義母も94歳。ここは天国のようだとの義母の言葉に農家の嫁としての苦労がいかばかりであったかしのばれる。いろいろと用事を済ませて神奈川に戻る日に栗駒山を登ることにした。
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登山口を振り返る |
残雪の栗駒山へ
5月連休の東北の山は残雪歩きができるので楽しい。車は早朝の田園地帯を抜けいっきに高度を上げ高原地帯に入る。耕英地区という名前からしていかにも開拓地区を抜けさらに高度を上げ登山口のイワカガミ平に到着。にここはすでに雲上にある。見下ろすと地平線まで広がる田園、見上げると栗駒山に向かって雪原が広がる。支度を整えアイゼンを装着して雪上歩きスタートだ。私が本日初めての入山者だ。前日までの悪天のため踏み跡は消えている。ルートの目印もない。しかし何回もアクセスした冬道なのでルートの確信をもって歩く。この雪の下はナナカマドなどの低木帯だ。所々に低木の針葉樹が雪の上に伸びている。積雪は1メートルほどか。やがて後続の登山者に追い越される。抜かされても気落ちはしない。むしろルートへの確信ができたので気が楽だ。この先は彼の踏み跡を追えばいい。先行する彼は針葉樹ブッシュ帯の中に消えていく。あのブッシュを抜けると山頂への雪面スロープが広がっているはずだ。と思っていると先行者がバツ印のジェスチャーをしながら戻ってくる。だめだ崩れていると。確かブッシュの先は沢をトラバースしながら下るはずだ。そのトラバースが崩れているなら確かに歩けないだろう。こうなったら新たなルートを探すしかない。といってもルート勘のない私は彼の後についていくしかない。が彼も他にルートを知らない様子。立ちはだかるブッシュ帯をのぞき込むがなかなかルートは見つからない。だったらしょうがない、大きくトラバースして夏道を歩くしかない。夏道は向こうに見えるあの尾根筋を通っているはずだ。そんな会話を交わすうち彼とチームを組んでしまったようだ。彼も「水分補給いいですか」などと年寄りの私を気遣ってくれてる。饒舌な彼はこの栗駒山の冬季からの変化の様子とか、近くの山々の話をしてくれる。賢治の「なめとこ山」の話とかいかにも東北人ならではの話題だ。楽しく彼の話を聞きながら夏道を目指す。やがて思った通り、尾根筋に夏道の「中央コース」を見つけることができた。石畳が露出している。雪上歩ができないので残念だがしょうがない。アイゼンを解く。もうあとは山頂を目指すだけだ。彼には礼を言い「またどこかで」と親しみの言葉を交わし先に行ってもらった。力強い後姿を羨ましく眺め気を新たに独歩を再開、幸いなことに頂上直下からは雪道となりいつもの雪原登りを楽しめた。見下ろすと下方からは雪原を歩く後続のハイカーたちが点々と見える。どうも崩落地を回避するルートがあったようだ。私たちは夏道にトラバースしただけ遠回りをしたことになる。頂上では日本海側の展望を楽しみ、つかの間の小休止をとり雪原に向かって下り始めた。サクサクとアイゼンを鳴らし右に左に雪山の展望を楽しみ、下から登ってくる登山者と挨拶を交わし、新たな思い出を刻むことができたことを栗駒山に感謝し、再訪を誓い、思いを沢山詰めて下る。
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西方には朝日連峰 |
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東には焼石岳 |
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山頂直下から見上げる |
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荒天の名残 |
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雪上をいっきに下る |
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汗を洗い流して |
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