2021年9月25日 北八再訪


 

今回は白駒池からにゅう、中山峠、丸山を周回した。

金曜日の夜、暗い中央道を一路諏訪に向かう。

早朝のメルヘン街道は寒い。ここは標高2300メートル。支度を調えて森に入る。白駒池のほとりのななかまどは色づき始めている。今回はまず、にゅうを目指す。ほとりを歩き湿原を抜けるとやがてにゅうへの直登ルートとの分岐にでる。ここまで見かけた道標には「にゅう」「乳」「にう」とあった。ここよりほぼ1時間でにゅうに到着。途中でゆっくり歩きの私を追い越していった連中がにゅうの岩の上に見える。私もザックを下ろして空身でにゅうに登り彼らの仲間に入れてもらう。残念なことに山々は霧に包まれ展望はない。霧の間から垣間見る模様は作りかけのジグソーパスルだ。


一休みの後、まずは中山峠を目指す。これまで沢山の人に追い越されたが今は足音が聞こえない。多分にゅうにいた多くの人たちは白駒池に下ったのだろう。上から下ってくる登山者は黒百合ヒュッテに泊まった人たちか。やがてルートは白い幹が密に生えるシラビソの樹林帯となる。シラビソ林の香ばしい空気が漂う。シラビソのフィトンチッドに癒されながら歩をすすめるとやがて尾根道に合流。前回歩いた尾根道だ。とりあえずこの尾根道を中山峠まで歩く。

にゅうの賑わい


にゅうから登山道を見下ろす
登山道はシラビソ樹林帯に入る
縞枯れの尾根道との合流点

中山峠から東天狗岳を見上げる。雲が東天狗岳の斜面にぶつかりそのまま上昇気流となって流れていく様子が判る。その斜面の反対側を豆粒のように小さく登山者が歩いているのが判る。山と雲の荘厳なドラマに人間たちの存在はいかにも小さい。その足で黒百合ヒュッテまで足を運ぶ。小屋前にはカラフルなテントが乱立し、玄関には黄色い「一番搾り」の看板が飾られてる。前庭では登山者が名物のビーフシチューやカレーウドンを食している。どうもこの賑わいを共に楽しむ気分にはなれない。私は静かな中山展望地でランチをとることにする。

東天狗岳に阻まれる雲

黒百合ヒュッテの賑わい

中山の手前で若い女性二人と会話する。正面に見える山を「東天狗岳」と説明し「あなたたちならば登れます」と言うと「えーほんとですかあ」と喜んでくれた。そして縞枯れの林を指さすと「酸性雨ですか」、「いや何年も続く自然現象です」などと知識を披露し気分をよくして中山の展望地に腰を下ろす。

中山の展望地。岩原に秋の冷たい風が吹く。ここもやがて雪に覆われるのだろう。岩の間にアルコールバーナーをセットして暖かいみそ汁を作る。あらためて北方の茶臼岳や北横岳、南方の天狗岳などをながめ、広い北八ヶ岳を実感する。いま見えてる未踏の山々をいつか歩く日が来るのだろうか。残された自分の人生はあとどのくらいあるのだろうか。もしかしていま見えているこれらの山々ならその気になれば歩けるかもしれない。

縞枯れの山肌と雲に隠れる北八ツの山々

このあと高見石小屋へ下り丸山、麦草ヒュッテ経由で白駒池駐車場に戻る。麦草峠への下りで朝方の「にゅう」への途中で追い越していった男がまた私を追い越す。西天狗まで行ってきたとのこと。静寂の森に熊鈴の音が響く。

シンプルな道標


麦草ヒュッテまで下りてきた

シラビソ林を歩いていて感じたこと

シラビソの樹は太さが15㎝ほどで命を終えている。朽ちた幹を青苔が被いやがて土となって次の命を育てている。岩原に植生するための知恵なのか。まるで林全体でひとつの生命を営んでいるかのようだ。シラビソ林にしか見れない縞枯れ現象も林全体が一つの生命であることの証なのだろう。その生命から発せられるフィトンチッドは清々しい香りとともに沁み込んでくる。北八ヶ岳の魅力はこのように山全体の息吹きを体感できることなのかも知れない。硫黄岳の爆裂の後、何万年もの間に培わされてきた佇まいに一番搾りの看板は不似合いだ。山口曜久氏がエッセイで八ヶ岳の営業小屋の振る舞いを嘆いていた。山の営みに比べ人間の営みの醜さを嘆いたのだと思う。いま私は彼の思いを共有できる。

垂直に密に繁るシラビソ

朽ちた倒木が足元を覆う










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